肺穴ブログ!

こんにちは。こちらは僕の個人的な意見を書いていくブログです。障害福祉の仕事に携わっている経験から、直面する問題や想像する未来について書いています。 日々もんもんと湧き出す問題意識の中には、所属する団体・組織とは違う考えも出てきます。しかし組織に逆らうとか壊そうという気持ちはなく、あくまでも個人として、自由に考え、どうやって障害者と介護者の問題、労働者の問題に取り組んだら良いか、日々考えてることを忘れたくない、体系的にまとめたい、勉強したい、それを伝えたいという思いから書いています。

【その5】忘れてはいけないこと、問題意識、正義感編

 忘れてはいけないことがあります。
それは誰かが苦しんでるということ。苦しんでいなくても、自覚していなくても、誰かの人権が尊重されていないということ。

「問題意識」はそこから始まっているはずだからです。

しかし、「具体的な課題」に取り組んでいると、それが見えなくなってしまいます。
「具体的な課題」とは、例えば業務の効率化・職場や店舗の整理整頓清掃・クレーム対応などです。それらの目の前の課題は、真剣に取り組まなければいけないし、確かに当初の「問題意識」に繋がるので、決して意味のないことではありません。

意味のあることだからこそ、誰も否定できなくなるし、手を離すことが出来なくなります。そうすると、自由に考えられなくなり、思考停止になってしまいます。「具体的な課題」が目的化し、それに取り組むことだけが、最初の「問題意識」だと思い込んでしまうのです。

 

「問題意識」の原動力は二つしかありません。

当事者意識と、正義感です。そのどちらかです。
言い換えると、被害者意識とおせっかいです。

当事者意識=被害者意識=自分のこと
正義感=おせっかい=他人のこと

冒頭で、誰かが苦しんでいると書きました。

例えば、子供の虐待の問題を考えたとします。子供は自分を虐待する親を信じて、正しいと思ってしまい、虐待が苦しいと思わなくなります。本人は自分が悪いのだと、お母さんを悲しませてしまって申し訳ないと思ってしまうことがあります。
でも、その子供は確実に傷ついています。大切な人生を失っています。なんとかしないといけません。私たちは誰かが、この問題に取り組まなければいけません。
これは、正義感です。おせっかいです。他人事です。

僕の取り組んでる問題は、障害者の差別の問題です。
実は、障害者も差別・虐待されてることに気づいてない場合が多いのです。
介護者(ヘルパーさん)がちゃんとついてお世話をしてくれて、両親も暖かく面倒を見てくれる家庭に育った障害者や、あるいは良心的な施設で安全な生活をしている障害者は、差別されてる事を自覚していないことが多いのです。
まわりの健常者(ヘルパー・家族)も良い事をしてると思っているので、当然差別をしている自覚はありません。
障害者も、健常者も、幸せだと思っているのです。

しかし、これで本当にいいのでしょうか?
彼ら障害者は本当に、僕たちが当たり前に出来ている事が、出来ているのでしょうか?

例えば恋愛と性愛。
誰にも見られたくない恥ずかしいラブレターを書いたり。体育館の裏でこっそり彼女と抱き合ったり。大人になればレストランでお酒を飲んで、予約したホテルで一夜をすごしたり。そしてこの人を守りたい幸せにしたいという異性と結婚したり。一緒に子育てをしたり。
彼らは、誰もが自由に出来てるでしょうか?出来てない人が沢山います。

例えばお金。
思い切ってローンで車やマンションを買ったり。ギャンブルにハマってしまったり。無駄な買い物をして失敗して後悔したり。
彼らは、自由に出来てるでしょうか?出来てない人が沢山います。

なぜ出来ないのでしょうか?僕はそれが差別が原因だと思うのです。

そこに当事者として問題意識を感じて活動している障害者もいます。
僕はそれを支えるのが仕事です。僕の他人事としての問題意識はそこからスタートしています。

僕は、子供の頃からの体験で、それを無関係だと思えないので、正義だと感じるのかもしれません。

長くなったので、僕の話と、当事者意識=被害者意識の話はまた次回にします。